もるの日記

なんでもないこと

イベント販売での身なり

地元のハンドメイドイベントに、月に一度くらいの頻度で出展している。

 

その時に身辺で注意していること。

自戒用の備忘録です。

全ての方に当てはまるものではありません。

 

①出品アクセサリーの雰囲気にあった服装を選ぶ。

 

②前日にきちんとアイロンを掛ける。

 

③家を出る前に歯を磨く。

 

④メイク・髪型でベストを尽くす。

 

⑤「手先」に気を配る。

 

 

以下に詳細。

 

 

①出品アクセサリーと合った服装を選ぶ

 

通り掛かったお客様が、そのブースに立ち寄るかスルーするかの指標になる。

出展者の雰囲気が、自分の好みとマッチしているか無意識に判断している。

古着とターバンを巻いたエスニック系ファッションの人が、乙女可愛いナチュラル系小物を出品しては勿体無い。

きちんと「こういう物を売ってます!」とアピールできる服をチョイスしたい。

製作物と製作者の傾向は一致するものだが、注意するべきは、外部の売り子さんがいる場合だ。

大抵は自分の近しい人が、善意で協力してくれているパターンだと思う。

少し言いにくいかもしれないが、なるべくブースの雰囲気とマッチした服装にしてもらうといい。

 

 

②前日にきちんとアイロンを掛ける

 

ここからはお客様がブースに入ってからの話だ。

ハンドメイドアクセサリーは「ノーブランド」だ。価値や品質を保証する指標がない。

そこでお客様が判断の一材料にするのが、出展者そのものだ。

イベントにしわくちゃの服で来る出展者は、果たして家できちんと品物を管理できているだろうか。清潔な環境で製作されているだろうか。

服の皺ひとつで購入機会を逃すのは勿体無い。

 

③家を出る前に歯を磨く

 

当たり前だと思われるが、それがそうでもない。

なぜなら出展者の朝はとても早いからだ。

早起きして、身支度をして、荷物を積んで、イベント会場まで高速に乗って移動する。

会場への到着時間を逆算すると、とても早起きになる人もいる。

でも、口が臭い人のハンドメイドアクセサリーなんて買いたいか。

これは④にも繋がってくる。

 

④メイク・髪型でベストを尽くす。

 

ハンドメイドアクセサリーはノーブランドだ。

付加価値がない。そこで価値の指標になるのは、出展者本人だ。美醜の話ではない。

いくら朝が早くとも、髪はボサボサ、ノーメイク(アレルギーでお化粧できない人はごめんなさい)の人から、お出掛けする時に着けるアクセサリーを買う気になるか。

暴論だが、出展者が身なりに頓着していないと、アクセサリーまでダサく見えてしまう。

ずっと前に流行したアイテムをまだ使っている人の作るアクセサリーは、本当に今の流行にあっているのか不安になる。

「この人が作ってるアクセサリーって、本当にかわいいのかな?」となってしまう。

説得力に欠けるのだ。

逆に、つま先からつむじまで気を遣えば「この人がかわいい!というのだからそんな気がする」と思えてしまう。

出展者も含めてブースの世界観を作っているのを忘れないようにしたい。

 

⑤「手先」に気を配る。

 

人は動くものを見る。アクセサリーを扱う手先を見る。

ネイルはしてもしてなくても構わないが、カサカサの手では勿体無い。

ハンドクリームを塗って潤いたっぷりの手先で応対したい。

ここで注意すべきは、ハンドクリームの「香料」だ。

香水をつけている人は、無香料の物を選ぶなど、香りが混ざらない工夫を忘れないようにしたい。

 

 

他にもいろいろあるだろう。

イベントに出掛ける前にまた読み返したい。

 

「自分でも作れそう」との闘い

私は複雑なもの、ぱっと見でどうなっているか理解できないものに惹かれる。

自分では作れないからだ。

 

逆に言えば、ハンドメイド品は「自分でも作れそう」と思われてしまったら終わり、ということになる。

なお、実際に作れるかどうかはそこに関係ない。

自分でやってみたら思ったよりも難しかったり、制作する環境や材料、道具をいちから用意したら完成品の何倍もお金や時間が掛かった、というのはよくある話だ。

兎にも角にも、見た人に「自分でも作れるな」と思われてしまった時点で、自分のお客様になってもらうことは極めて難しいと思う。

 

勿論、シンプルの美しさとか、白の美学とか、品質の高さとか、無駄のない作品が一番難しいとか、そういう考えがあるのもわかる。

それでも、何百何千とネットに同カテゴリーの商品が出品されている現代で、まずお客様に立ち止まってもらう、興味を持ってもらう、あわよくば手にとってもらうには、「複雑さ」というのは大きな武器だと思う。

 

では、複雑さとは何か。

光の角度で色の見え方が異なる作品。

揺れた時に動きが出る作品。

平置きした時と着用した時で印象が異なる作品。

モチーフが斬新な作品。

モチーフの組み合わせが目新しい作品。

パーツがじゃらじゃらついている作品。

他にももっとあるだろう。

 

自分がハンドメイド品のアイデアを出している時に何かつまらない、魅力が足りない、と思ったら上記の要素を一度ザッと試行してみる。

その中で、ピタリとハマるものがあったらその方向で舵を切っていく。

 

まずシンプルなアイデアがあり、それに「複雑さ」という自分の色をつけ、肉づけしていくイメージだ。

 

品質にこだわりのある作家なら「白」を突き詰めて唯一無二で勝負していくことも可能だろうが、そこは私が勝負する分野ではない。

私が目指しているのは「めちゃくちゃ安いわけではないが、市販品で似たようなデザインを探したらもっと高いだろうな」という価格帯だ。

100円や300円で流行のアクセサリーが手軽に手に入る現代で、私の見つけた戦場はそこである。

 

 

 

 

 

 

 

ハンドメイドの制作段階

備忘録を兼ねて、ハンドメイドについて書きたい。

その為制作の段階をカテゴリー分けし、後で検索しやすいようにした。

 

①アイデア

②資材収集

③制作

④撮影

⑤出品・販売

⑥梱包・発送

 

実際は前後したり、この通り進まないこともあるが、これぐらいにカテゴリー分けすれば、とりあえずブログとしてはわかりやすくなると思う。

 

思いついたことや気づいたこと、自分用のチェックリストなどとして活用できればいい。

切手を選ぶ

 

郵便局で切手を選ぶのが好きだ。

 

これまで切手とは縁遠い人生を歩んできたが、ここ数年はハンドメイドの郵送取引が増えたことで、距離がグンと縮まった。

最初はこちらの手違いで返送されてしまうのが怖くて、注文が入る度に郵便窓口へ持ち込んでいたが、回数を重ね取引や梱包にも慣れてきた為、徐々にポスト投函にシフトしていった。やはり営業日や時間が定まっている郵便窓口より、いつでもカコンと投函すれば済むポストの方が圧倒的に楽だ。コンビニにポストが設置されていることも多く、重宝している。

 

私はもっぱら63円切手を2枚使用する。

郵便局窓口で切手シートを購入するのだが、これが毎回楽しみだ。

 

昨年は、世界の芸術作品を色ごとにカテゴライズした切手シートがとても良かった。「黄色」のテーマでは、クリムトゴッホのひまわりなど、「黄色」が全面に押し出された作品が、額縁の様にシートにおさまっていた。日本の作品も海外の作品も混ざっているのに、色のテーマが統一されていると不思議と違和感なくまとまっていた。購入のタイミングが悪く、黄色、白のシリーズしか買えなかったが、見ていてワクワクする切手シートで、毎回剥がすのが勿体なかった。できることなら全色分揃えて並べて飾りたかったが、きっとそれをしてしまうと、もう切手としては使えなくなってしまうだろうなとも思った。

私はコレクションではなく、あくまで使う為に切手を買っているから、一期一会の出会いを楽しむくらいで丁度いい。

 

今日も切手を買った。

小鳥や鹿がデザインされた絵本の様な可愛らしい切手シート。柔らかな水彩風の雰囲気で、10枚の切手からストーリーを読み取ってしまう。また剥がすのが辛くなりそうだ。

もうひとつは、ミシンや編み物、刺繍やクッキーなどがデザインされた、レトロで素朴な雰囲気の切手シート。ハンドメイド品を送るので、これ以上にふさわしい切手はないだろうと2枚購入した。

ミッフィーの切手もとても良かったが、そちらは84円切手だったので断念した。欲しいと思った切手が63円じゃなくて諦めるのも、割とよくあることだ。

 

購入を終えても、切手の楽しみはまだ残っている。

いざ郵送する際は、2枚を選ぶのだが、この組み合わせに悩むのもまた楽しい。彩りを考えたり、テーマを考えたり、送るアクセサリーに合わせてみたり……

 

自分の手元には残らず、送り先でもきっと封筒ごと捨てられてしまう切手だが、毎回ささやかな楽しみと豊かさを日々にもたらしてくれる。

今度過去の切手シリーズでも覗いてみようと思う。

 

 

ケトルが来た【活用編】

到着したケトルを洗浄し、部屋に置いたまでは書いたので。

それからのケトルとの日々。

 

①お湯がいつでも手に入る

水道水しか選択肢がない日々が終わる。温かい水が手に入る。薬も溶けやすいし、お腹も冷えないしいい。

 

②様々なドリンクが作れる

スーパーに行くと、お湯で溶かすだけのスティック飲料が本当に選びきれないほど並んでる。

お部屋がカフェになる〜。

 

③湯冷しが常にある

お湯を放置したら湯冷しが手に入る。

水道水飲むよりなんとなくいい気がする。

 

④熱い絞りタオルがいつでも手に入る

これが何気にデカい。すごく足汗かくタイプだから、出掛けから帰ってきた時に、洗面器で湯を張ってタオルを絞って足を拭く。これがすごく気持ちいい。うちに帰ってきたというオンオフの実感が湧く。

 

⑤手が温まる

お湯を温めた後、ケトルを触ると温かい。

 

⑥友人への感謝が物質としてある

ケトルをくれた友人への感謝の気持ちが、お湯を飲む度に湧いてくる。言い争いになりかけても、いやこいつのおかげで毎日温かい飲み物飲めてるんだよな、と思うとブレーキが掛かる。だいたい私が悪いし。

 

まだまだケトルと仲良くなりたい〜

 

 

ケトルが来た【到着編】

最近日常に革命が起きた。

待ちに待った電気ケトルを、一日の大半を過ごす自室に置けることになった。

 

昔は自室に置いてあったが、数度の転居を経て、私個人のケトルはいつの間にやら別に住む家族の所有物になっていた。

お湯くらい台所の共用ケトルで沸かせばいいと思っていたが、私の部屋は台所から最も離れており、廊下、階段、玄関、また廊下と移動を経てようやく辿り着ける。

これが冬場は本当にたるい。

 

私は健康の為に、水はなるべく我慢せず、飲みたい時にたくさん飲むべきだと思っている。

便秘も肌荒れも、まずは水をゴクゴク飲むことが治療の第一歩だと信じている。

だから家族にも自分にも、カフェインの入っていない水分を気軽に摂れる環境を家の外でも中でも意識して欲しいな、と淡く願っている。

うちは貧乏性なので、水のペットボトルを一本買うのを躊躇してしまう。かといって、水道水はちょっと……という気持ちも捨てきれない、わがままな貧乏だ。

夏場の出掛けなんかは自販機で500㎜の水一本を手に入れたって、そんなもの午前中、お昼も食べた頃には無くなってしまう。

でも2本目を買うのはもったいない。

それで帰宅まで持たせようとするから、結果ちょびちょび飲んで我慢してしまう。

そして熱中症になったりしたら本末転倒だ。

 

話が逸れたが、いつでも水を気軽にゴクゴク飲める環境が、健康や美肌の第一歩だと思っていることは伝わったと思う。

 

だから、冬場に部屋の中で飲用できる湯が手に入る喜びは、それはもう大きかった。

熱源が部屋にある。

本当に革命的な喜びだ。

 

ケトルは、結婚した友人が転居と共に不要になった10年もののケトルを頂いた。

やはりケトルは転居とともに人の手を渡り続ける生き物なのだ。

そんな長い年数を使ったとは思えないケトルを、ワクワクしながら部屋で開封した。

白と淡い水色の、こじんまりとした革命児からは、友人の匂いがした。

その友人と会った時に感じる匂いが、確かに染み付いていた。まるで、先ほど別れた友人が「よっ」と部屋に入って来たかと思うほどに。

それは決して悪臭ではないが、電気ケトルというツルッとした形状のものにも「ヒトの匂い」というのはうつるのだと感じて、少し恐ろしかった。

きっと私の部屋にある服や本は当然として、ネイルランプにも私が気づかないだけで、私の匂いが染み付いているのだろうなと思った。

なんとなく居心地が悪くなって、ケトルの外側を重曹で磨き、内部をクエン酸で煮沸した。

すると匂いは嘘の様にあっさりと消えた。

今後私が他人にネイルランプやこのケトルを明け渡すことになったら、たとえ自分が匂いを感じなくとも同じ様に洗浄してから渡そうと、密かに肝に銘じた。

 

さて、すっかり前の飼い主の記憶をリセットされた哀れなケトルは、こうして私の部屋のカラーボックスにましますことになった。

 

長くなってしまったので、ケトルが部屋にあることで具体的にどんな喜びがもたらされたのかは、また次のブログで書こうと思う。

 

 

ブログを始める。

大人になると、本当に文章を書くことって少なくなる。

まずそもそも鉛筆を握る機会が減る。

書く言葉も、返ってくる言葉も、定型文が多くなってくる。

私は割と国語の時間が好きなこどもだった。

字は上手くなかったけど、書くという行為、紙やペンの感触そのものが好きだった。

絵を描くよりも文を書くことの方が好きで、そちらの方が自分の考えや内面をより伝えやすいと思っていた。

 

そんな私は、大人になっても未だに、何かちょっとしたことを書きたいと思う。

行く先々でちょっといいな、と思うノートや自由帳を買ってみたりしたが、もったいなくて使えずにいる。

 

それならまずは手軽にブログをと思い、今年から始めてみることにした。

紙にペンで字を書く感触を味わうという目的は達成できなくとも、スマホでいつでも書けるし消せるという魅力には抗えない。

明るいことも暗いことも、好きなことも苦手なことも、自由にちょっとずつ書いていきたい。

久しぶりに文章を書くから、リハビリの気持ちで始めようと思う。